アンダーソン博士の発明品

 ここは、とある研究所の一室。

 足の踏み場もないくらいモノで溢れかえった部屋の隅っこで研究に没頭していたアンダーソン博士は、手にしていたフラスコにうつる自分の顔をじっと見て、言った。

「どう思うね、君」

「何がですか?」

 近くで掃き掃除をしていた助手の 磯部 ( いそべ ) が、博士に顔を向ける。

 この研究室には今、博士と磯部しかいなかった。

 アンダーソン博士は世界的にもすごく有名な科学者だが、異様なまでの人嫌いでも有名だった。それに彼は、そのたぐいまれな頭脳と、人間離れしたマルチタスクで大抵のことなら独りでこなしてしまう。彼の基本的な性格と人智を超越した能力が、磯部以外の人材を必要としなかったのだ。 

「私の顔だよ。学歴で例えるとどれくらいかね。正直で構わないから言ってみたまえ」

「俳優の池中君の顔面偏差値を東大レベルとするなら、博士は中卒程度でしょうか」

 池中君とは、女子高生人気ナンバーワン、抱かれたい俳優ランキングでも首位の若手俳優である。実は磯部は、この池中君にひそかに憧れていた。

「なかなか辛口だね。もう偏差値以前の問題じゃないか」

「何を今さら寝ぼけたことをおっしゃるんですか。論外ってことですよ。仮に四十歳若くても考察対象外でしょう」

 磯部の口調は、上司に向けたものにしては冷淡だったが、その内容に関しては決して誇張などではなかった。これまで磯部が現実・創作問わず見てきた生物の中で、博士は文句なしのぶっちぎりで不細工だった。

「不服ではあるが妥当な分析だと思うよ。人よりちょっと個性的な顔とスタイルをしているせいで、私はこの人生で異性からモテた例がひとつもない」

「同情します」

「これで、あと身長が二十センチ高くて体重が二十キロ減って顔の骨格とパーツの配置をいい感じに改善すれば、過去はこんなはずじゃなかった」

 博士はその肥えたお腹をさすりながら、そんなふうに絶対に在り得ないことを主張した。もはやそれは別人だ。磯部は心の中でそう思った。

「しかし、頭脳は人よりも遥かに恵まれたじゃないですか。生きたエジソンとまで呼ばれた世紀の発明王アンダーソンに、天は二物を与えないってことですよ。今さら容姿に不満をもったって手遅れなんですから、そんなふざけたこと言ってないでさっさと研究してください」

「手遅れというのは間違っとるよ、君。私はね、この忌まわしき過去を払拭するために、ついに不細工な私でも池中君並みにモテモテになってしまう薬を発明してしまったんだ」

「え、本当ですか」

「ああ、本当だとも」

 博士は嬉しそうに、背後のキャビネットの引き出しから怪しげな箱をとりだした。

 磯部は、博士がその箱を大事そうに扱っていたのを以前に見たことがあった。しかし、スケベな道具でも入っているのでは、と邪推することはあっても、そんな大発明品が眠っているとは微塵も思っていなかった。

 博士は箱を開けた。中には、いくつもの美味しそうなビスケットが入っている。

「ビスケット、ですか」

「そう。見た目と味を考慮して私の大好きなビスケットを模ってはいるが、正真正銘の惚れ薬だ。名付けて奇跡のモテモテビスケット。ひとカケラ。ひとカケラで充分だ。たったひとカケラで、こんな私でも一瞬で池中君クラスの良い男と同じ思いができる。こずえちゃんだってメロメロにできる」

 こずえちゃんというのは、朝の連続ドラマで主演をしている、最近、話題沸騰中の若手女優である。博士は、このこずえちゃんのファンだった。

「最近、博士は薬学系に触っていないものだと思っていました。モラルはともかくとして、それが本当なら世紀の大発明ですよ。僕が試してみてもいいですか? 一個ください」

「なにをばかなことを言っとる!」

 博士はそのもじゃもじゃの眉を逆立てて、怒鳴り声をあげた。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。僕だって長年恋人もつくらずに博士の研究を手伝ってきたんですから、発明品を試す権利くらいはあると思います」

「ただでさえ貴重な発明品を、君みたいな男でテストすることはできん」

 一通り見せびらかした博士は箱のふたを閉じると、それをもとの引き出しの中にしまった。きっちりと鍵をかけるのも忘れない。

「そろそろ睡眠の時間だ。私は帰る。くれぐれも変な気はおこさないでくれたまえよ。じゃあ、戸締りと掃除を頼んだ」

 博士が帰ったあと、助手はキャビネットに近づいた。ピンセットや金具を使ってこじ開けようとしたが、実はこのキャビネットは盗難回避用に博士が直々に作った最強のキャビネットであり、複雑な構造をなしているため、ちょっとやそっとのことでは開けることはできそうにない。

 助手はこの研究所に勤めてもう五年になる。当初は憧れのアンダーソン博士の下で働けることに誇りを持っていたが、いつになっても自分に与えられるのは掃除や簡単な実験ばかりで、最近はこの生活に嫌気がさしていた。また、彼も博士ほどではないが、研究に大半の時間を捧げてきたせいで女性と交際した経験がなかった。

 どうせここにいても、やることは掃除や装置の整備くらいだ。磯部はあの発明品さえ手に入れば、ここで研究人生が終わりを迎えようと構わないとすら思った。彼はそれだけ今の生活に絶望し、かつ女性からモテる生活に心から憧れていたのだ。

Home へ